はい、こんにちは!福井貴大です。
元消防士→トレーニング機器メーカー→現在はWEB制作事業を営みながら、合同会社E-Baseの代表として野球指導やトレーニング指導を行っています。
今回の記事のテーマは「自分に合った"正解"を見つけるには?」です。
「教えられた通りにやっているのに、うまくならない」
「練習すればするほど、身体が痛くなる」
「自分には才能がないんだと諦めかけている」
あなたは、こんな悩みを抱えていませんか?
残念ながら、スポーツの世界(特に野球界)では、指導者の感覚や、トップ選手の成功体験がそのまま「万人の正解」として押し付けられることが少なくありません。
でも、一人ひとり骨格も違えば、感覚も違う。
そのズレを修正できないまま、ただ「努力」だけでカバーしようとすると、かつての僕のように身体を壊し、心をすり減らすことになります。
肘を壊して塁間すら投げられなかった私が、なぜ28歳にして遠投100mを投げられるようになったのか。
そして、なぜ今、WEB屋でありながらトレーニング指導に情熱を注ぐのか。
その原点と、僕が挑んでいる課題についてお話しさせてください。
目次
甲子園を目前にして消えた夢と、消えない悔い
時計の針を少し戻します。 僕が野球を始めたのは10歳の頃。テレビ画面越しに見た松井秀喜選手のホームラン、あの「これ入ったろ!」と確信するインパクトの快感に魅せられたのがきっかけでした。(高橋由伸選手や後藤孝志選手の弾道も最高でしたね…)
高校は地元の佐渡高校へ。
入学当初は意識も低かったのですが、「島から甲子園」を掲げる監督のもと、不思議とチームは強くなり、僕自身も一時的に覚醒して打ちまくりました。
しかし、最大の分岐点は2年の夏、県大会決勝でした。 3-2とリードされて迎えた延長11回裏。
1アウト2,3塁。 一打出れば逆転サヨナラ、夢の甲子園という場面で打席が回ってきました。
結果は、ショートゴロ。
本塁突入アウト。
続くバッターも凡退し、僕の目の前で相手選手が二塁ベースを踏んで試合終了。 あの時の光景、悔しさは、今でも鮮明にフラッシュバックします。
「あの時、もっと正しい準備ができていれば」
「もし同じ場面が来た時、後輩たちには絶対に結果を出させてあげたい」
この強烈な原体験が、僕がいまだに野球から離れられず、指導者としての道を歩んでいる理由のすべてです。

壊れ続けた身体と、逃げの代償
悔しさをバネに、3年の夏に向けて必死に練習しました。 しかし、結果は残酷でした。
「頑張ればなんとかなる」と思い込み、栄養管理も無視して練習に打ち込んだ結果、体重は63kgまで激減。フラフラの状態でパフォーマンスが上がるはずもありません。 結局、最後の夏は一回戦敗退。
「このままでは終われない」 そう思った僕は、国公立大学で硬式野球を続けることを決意し、引退後すぐに自主トレを開始します。
しかし、9月のある日。 遠投中に肘から「ブチっ」という嫌な音がしました。激痛。
「なんで今なんだ」
受験期だから病院に行く時間がない、引退後に怪我なんて言ったら笑われるんじゃないか…。 そんなプライドと焦りが邪魔をして、僕は病院に行かず「自己判断の保存療法」という名の放置を選んでしまいました。
受験勉強にも身が入らない状況も、11月頃からようやく本腰を入れて取り組み直前の模試では国立大学C判定までなるも、センター試験本番で失敗。 最終的には関西の私立大学へ進学し、治らない肘を抱えたまま1年を棒に振りました。
ただ、この大学に所属しつつ、地域の硬式野球クラブチームで野球ができたことは大きな経験でした。
消防士を辞めてまで求めた「答え」
大学卒業後、地元・佐渡に戻り消防士になりました。 身体を動かすことは好きでしたし、世間的には安定した職です。
でも、心の中には常にモヤモヤがありました。 衰退していく地元、そして何より野球に対する未練。
そんなある日、一変するニュースを目にします。 東京のトレーニング機器メーカーが硬式野球部を創設したという記事でした。「動的ストレッチマシン」を使って身体を整え、パフォーマンスアップを実証しながら営業をするというスタイル。
「これだ」と思いました。 自分の身体を実験台にして、あの怪我や不調の正体を突き止められるかもしれない。
僕は5年勤めた消防を辞め、その会社に飛び込みました。
28歳、奇跡の復活劇
そこで出会った一人のトレーナーさんが、僕の人生を本質的に変えました。
その方の理論はこうでした。
「肘に負担がかかるのは、体幹が使えておらず、末端(腕や足先)に頼って投げているからだ」
僕の身体は、まさにその「末端主導」の典型でした。
そこから、身体の使い方を根本から作り変えるトレーニングが始まりました。
仕事の合間、朝、晩。地味な体幹トレーニングと動作改善を徹底しました。
すると、どうでしょう。
あんなに痛かった肘の痛みが、わずか1ヶ月で消え、60mの距離が投げられるようになったのです。
さらにトレーニングを継続した結果、28歳にして遠投は100m超えを記録。
現役時代に全く打てなかった変化球や外角のボールも、体幹主導で「待てる」ようになり、バッティングも飛躍的に向上しました。
「才能がなかった」わけじゃなかった。
「自分に合った身体の使い方」「それを引き出すためのトレーニング」を知らなかっただけだったんです。
情報過多な社会で「自分だけの感覚」を取り戻す
現在、僕はWEB制作を本業としながら、合同会社E-Baseでトレーニング指導を行っています。
今、世の中にはYouTubeやSNSで「正解らしき野球理論」が溢れかえっています。
しかし、トップクラスのチームですら、選手個々の骨格や感覚を無視した指導を行い、その人らしさを発揮できないまま潰れていく選手が大勢います。
「下手くそ」と呼ばれている選手も、身体感覚のズレを擦り合わせれば、必ず挽回できる。
かつての僕のように、間違った努力で身体を壊し、夢を諦める選手を一人でも減らしたい。 あの県大会決勝のような悔しさを、もう誰にも味わわせたくない。
WEB屋として情報を整理し、トレーナーとして身体を整える。
アプローチは違えど、僕が提供したいのは「その人が本来持っている可能性を最大限に引き出すこと」です。
もし、あなたが伸び悩んでいるなら、それは才能のせいではありません。
まだ、自分に合った「動き」を手に入れるためのトレーニングに出会っていないだけかもしれませんよ。
